道南ひきこもり家族交流会「あさがお」ニュースレター第119号:2017年3月

 

 

【例会】毎月第2日曜日午後2時~4時、函館市総合保健センター2階 会議室等で開催しますので、日にちは次のとおりです。

    3月12日 4月9日 5月14日 6月11日 7月9日 8月13日

 樹陽のたより(ひきこもりを体験した当事者の集い)も、あさがお例会日の11時~13時、函館市総合保健センター(第2健康指導室)で開催します。

 

「あさがお」は4月から新年度になりますので、会報購読を継続希望の方は、年会費千円を同封の振込用紙で納入いただくか、例会時にご持参ください。

会費を納入いただきますと例会参加費は無料になり、隔月で会報をお送りいたします。

当会に公的助成はなく会費により運営しております。ご家族・当事者だけではなく、この課題に関心をお持ちの皆さまに支えられて運営しておりますので、よろしくお願い申し上げます。

ハガキによる交流に運営委員の安藤さんが取り組んでくださいます。詳しくは同封チラシをご覧ください。

手紙のつながりから、家族内の会話も広がるかもしれません!(^^)!

 

 

1月8日例会は年明け早々にも関わらず参加者18名と多数でしたので3グループに分かれてじっくり話し合いました。

2月12日例会は27名とさらに参加者が増え、4グループに分かれての話し合いとなりました。

小グループの方がじっくり語り合えるということで、これからは基本的にこのスタイルで進めたいと思います。

また、2月例会終了後14名が参加した新年会も大いに盛り上がりました。

樹陽のたよりは、1月・2月とも7名の参加で、近況や悩みなどゆっくり語り合いました。

※今回は、中学で不登校になって以降、外部と接触するのが辛くて10年以上ひこきこもっていた青年が、最近例会に参加くださるようになりました。

例会ではお子さんが「風呂に入らない」ことが家族の悩みとしてよく出されますので、そのことについて体験談を寄せてくださいました。

【私のお風呂の話】

私が入れなくなったのは、たしか1998年頃で、不摂生が理由なのか精神病になってしまったからです。

その後、2000年まで入らないでいましたが、此の儘じゃいけないと思い何とか入りました。2003年までお風呂のはいる其の時期で、辛いながらも何とか入っていました。

ですが、精神的に辛かったので2003年から又、入らなくなりました。その後2005年まで入らないでいました。

引っ越す事になったのでお風呂に入らなきゃならなくなったので辛かったのですが、何とか入りましたが、移った先で、約1年8ケ月間入らないでいました。

2007年又、引っ越す事になりましたが、其の時は、過去其の時々のお風呂の時と比べて入りやすかったので楽には入れました。

移った先で約1年間住みましたが、又引っ越す事になり、其の時も楽に入れました。

その後は人と会う機会が増えましたが、会う時だけお風呂に入るようにしましたが、お風呂に入る事に慣れたのか、お風呂に入りやすくなれました。

時間が掛かるけど、回復する原因があれば、又、お風呂に入れる状況まで回復できるんじゃないかと思いました。

※とても貴重な体験談をありがとうございます。

ひきこもりが長くなると、周囲からはその人の時間 が止まってしまったように見えますが、この方は自分の辿ってきた道のりを、とてもはっきり覚え ていることに感心しました。

ひきこもり者は決して立ち止まっている訳ではないのですね。

また、本人 が必要と感じることが大事で、本人に代わって周りが何とかしようとしても上手くいかないことを、あらためて学ぶことができましした。

【母親の視点・子どもの視点】 運営委員・安藤

子どもがひきこもり、一日中その生活を目にしていると、母親として気がかりなことが次々と出てきます。

今までの人生の中で何かにつまずき、悩み、苦しみ、ひきこもっているのはわかってはいるけれど、「このままでいいのだろうか・・」という思いが頭から離れません。その思いは母も子も、同じだと思います。

では、どうなればいいのかが、母と子とでは大きく異なっているように思えます。

私も母親の一人として、社会との関わりは無理でも、自分の身の回りのことくらいはできるようにと思いました。

それには、様々な理由がつきます。「親が倒れたり亡くなったりしたらどうするの」とか、「もう○○歳になるんだからせめてこれくらいは・・」とか、「体を清潔にしなければ病気になる」とか、「家で自由にさせているのだから自分の食事の後始末くらいしてほしい・・」などなど。

こうした日常生活の細々したことを普通にできるようになるのが第一歩と考え、重視するのがほとんどの母親の視点のように思います。

我が子が、やるのが当たり前と思える日常的なことをしないのは、いらだちやストレスとなって母親の心身にのしかかってきます。

一方、子どもの方は・・と考えてみました。当事者のお話を聞いても、日常的なことをしないということが、日々の苦悩の大部分を占めているようには感じられません。

むしろこれから先の自分を考えたとき、家事手伝い・身体の衛生・部屋の掃除などは、考えなければならないことの対象になっていないようです。

小さい頃から家事は母親の役割であり、手伝うことはあってもやらなければならない仕事ではなかったはずです。

大きくなっても、忙しかったり体調が悪ければ、当然のように母親がやってくれます。

今は便利な世の中になり、家事一般ができなくても暮らしていけるようにもなりました。ゴミが溜まったり体が不衛生でも、それが原因で死ぬわけでもありません。

子どもが社会と関わっていくために重視することは、「自分の身の回りのことから」ではないようです。

「家族以外と関われるか」、「学びなおす機会や資金があるか」、「家から出る第一歩をどこに求めればいいのか」、「家以外に居場所を見つけても行ける体力・気力があるのか」・・こんな思いが渦巻いているように感じます。

こうした孤立感や先の見えない不安感のため、精神病的な症状が表れてくる場合も多々あります。

この双方の視点の違いをまず母親が理解し、受け入れることが大切だと思っています。

日常生活の細々したことはできなくても、代行できるものがたくさんある世の中になりました。

子どもにしても、いざとなったらやるしかなく、やりはじめればなんとかなります。

家事全般を振り返ってみても、私たち母親は初めから熟練していたわけではありません。

いざとなったらできるはずと子どもを信じ、家族みんなが安心して暮らせるのが一番と、考えを切り替えてみませんか。

そうすれば、母にも子にも、こころの余裕が生まれてくると思います。

 

事務局:野村俊幸(社会福祉士・精神保健福祉士)090-6261-6984  tnomura@sea.ncv.ne.jp

 共同事務局の函館渡辺病院(森・越野)は内部事務を担当しますので連絡先は野村に一本化します。