道南ひきこもり家族交流会「あさがお」ニュースレター第125号:2018年3月

 

 

【例会】毎月第2日曜日午後2時~4時、函館市総合保健センター2階会議室等で開催します。日にちは次のとおりです。

 

3月11日 4月8日 5月13日 6月10日 7月8日 8月12日

 

樹陽のたより(ひきこもりを体験した当事者の集い)も、同日の11時~13時、函館市総合保健センター(第2健康指導室)で開催します。

 

当会は4月から新年度となりますので、会報の購読継続を希望される方は、お手数ですが会費千円を同封の振込用紙でご送金いただくか、例会参加時にご持参ください。

 

当会は公的助成を受けず会費のみにて運営しておりますので、皆さまのご支援のほどよろしくお願いいたします。

 

【1月・2月の例会の概要】

新年最初の例会は1月14日で参加者24名と多数の方に参加いただくスタートとなりました。

今回は父親の参加が結構多かったので、初めての試みで「オヤジ会」で一グループを作り、その他は「膠着状態が長い方」と「少し動きのある方」の3グループで話し合いました。

「オヤジ会」は、父親ならではの葛藤や反省の体験がたくさん語られました。

どうしても自分が努力して歩んできた道を基準に考えるため、子どもが動かないことを受け入れられないことは共通しています。

私(事務局・野村)も30年ほど前に長女が不登校になったときは全く同じで、「お父さんだって辛いことがあっても頑張って仕事に出かけているんだ!」という気持ちが先に立って、長女を受け入れられませんでした。

しかし、一番辛いのは子ども自身なのだと思い至ってから、徐々に心の氷が溶けていったように思います。

2月11日も悪天候にもかかわらず20名と多数の方に参加いただき、「病気や障がいが心配な方」と「お子さんの年齢が高くなっている方、膠着状態が長い方」の2グループで話し合いました。

 

樹陽のたよりの参加者は1月が7名(初参加1名)と賑やかでした。2月は3名で、顔馴染のメンバーでアットホームな語り合いとなりました。

 

【「親亡き後」の不安を巡って】(運営委員:安藤とし子)

例会でよく耳にする言葉に、「親が死んだらどうするんだろう」というのがあります。

「せめてご飯支度ぐらいできなければ」という言葉が後に続きます。

親からすれば、日常生活の基本的な事だけはできるようになってほしいという切実な願いのようです。

でも実際に親が亡くなったら、依存して暮らしてきた子どもはこうしたことで一番困るのでしょうか。

 

≪母と妹の体験から~母亡き後に…≫

私事ですが、離れて住む妹のお話をします。妹は54歳で発達障害と診断されました。

母は「発達障害」を知らずに子育てしてきたので、子どもの頃から妹をかばって暮らしてきました。

妹は短大卒業後就職しましたが、40代半ばから仕事はしていません。

持病が悪化したのと母の癌が見つかったため、仕事は辞めました。

健康が回復したら得意な英語力を生かし仕事をしたいという妹のため、英語関連の各資格取得に専念できるよう母は家事一切をさせませんでした。

学費の援助は惜しまず、生活費もすべて母がまかなっていました。

4年前、母の癌が進行し在宅看護と介護支援を受ける生活になりましたが、それでも母はほとんどの家事をしていました。

3年前、母の癌は末期となり緊急入院し「余命1ヵ月」と宣告されました。

それまで母に依存してきた妹はその瞬間パニックを起こし、精神科に入院しました。入院は3ヵ月に及び、その間に母は亡くなりました。

当初妹は「函館で姉にご飯をつくってもらって暮らす。」と言っていましたが、私はきっぱり断りました。

私は妹に実家を相続させ、地元で支援を受け自立して暮らしてほしいと言いました。

退院が近くなると、ケースワーカー・医師・支援機関の方々を交えて退院後の生活の計画をたて、支援準備が進められました。

支援体制が整うまでの1ヵ月間、私は妹と共に暮らしました。私が函館にもどった後、妹は少しずつ「支援を受けながら暮らす」という事に慣れていきました。

お隣の一人暮らしの女性が、妹のことを特に気にかけてくれます。

妹はその方に思い切って精神科にも通院していることを話したら、その女性はまったく気にせず、前にも増していろいろ気遣ってくれるようになったそうです。

妹も話したことで気持ちが楽になり、今はお互いに助け合って暮らしています。

 

≪家計と住まいの維持管理が大きな課題≫

2年が過ぎた妹の一人暮らしですが、一番苦労したのは食事の支度でも洗濯でもありませんでした。

それらはヘルパー派遣・コンビニ・配食などの様々なサービスが利用できます。

妹が困ったのは「限られた収入で1ヵ月どう生活するか」「家の維持・管理のしかた」でした。

個人の資産・金銭的な問題については、なかなか支援機関に相談できなかったからです。

妹の場合、母が亡くなる前に発達障害と診断されたので、母の年金を遺族年金として受給できました。

これが妹の自立を助ける大きな力になったと思います。

親亡き後の収入の見通しが立たない場合、現段階では、親も子も「どうなるんだろう」と思わざるを得ないでしょう。

何らかの支援を受けるにしても、どの程度の支援が受けられるのか、考え始めると不安になるばかりですが、今相談機関に行っても答えは出ません。

なぜなら、社会制度は変わっていくものだからです。

「今年度中に確実に亡くなる」とでもわかっていない限り、「親亡き後」の様々な手続き・支援の具体的な方法は誰にも答えられないと思います。

 

≪不確定な将来の心配より、今できることを≫

では、私たちは何も準備しておくことができないのでしょうか。時間はかかりますが、今から心がけておける事もあります。

その1つが「よりよい人間関係をたくさんつくっておく」ということです。

「例会・当事者会などに参加しいつでも情報交換できる仲間をつくる」、「ご近所との関係を良好に保つ」、「地域の支援相談機関とつながる」など心がけてみてはどうでしょうか。

妹の生活の基本的な部分をみても支援だけではなく、御近所・友人との助け合いでも成り立っているようです。

もう1つは、親の資産や収入を整理しておくことでしょうか。

処分する・遺族で分割する・特定の遺族に残すなど仕分けしたり、現在の生活がどのような支出項目額によって成りたっているか書き出してみるなどです。

私の妹も、母と暮らしていた頃の生活をするには何にどの程度必要か目安になるものがあれば、一ヶ月の生活費のやりくりも考えやすかったのではと思うのです。

仮に何年後に亡くなるとわかったとしても、その時の社会制度がどうなっているのかは予想する事すらできません。

親が亡くなるまでの間に、様々な社会制度がいつどう変わるのかは誰にもわかりません。

先の読めないことを思い悩むより、「今を大事に一時間でも元気で長生きする」くらいの心意気でやっていくのが一番いいような気がします。

 

事務局:

会運営の庶務は社会医療法人函館博栄会高齢者複合施設「ケアタウン昭里」の越野施設長・森副施設長が担当し、対外的な連絡窓口は野村が担当します。

野村俊幸(社会福祉士・精神保健福祉士)

090-6261-6984  tnomura@sea.ncv.ne.jp