道南ひきこもり家族交流会「あさがお」ニュースレター第134号:2019年9月

あさがおの例会日程

【例会】毎月第2日曜日午後2時~4時、函館市総合保健センター2階会議室等で開催します。

日にちは次のとおりです。

2019年 9月8日 10月13日 11月10日 12月8日

2020年 1月12日

 

樹陽のたより(ひきこもりを体験した当事者の集い)も、同日の11時~13時、函館市総合保健センター(2階奥右側、第2健康指導室)で開催します。、

 

「KHJ全国大会in北海道」のお知らせ

10月12日(土)・13日(日)、KHJ全国大会in北海道が札幌で開催されます。

全国からひきこもりの家族会や支援者などが集まり交流する貴重な機会です。例会とかぶりますが、貴重な情報を得て大きな学びになりますので、参加できる方は是非おいでください。

私も12日のシンポジウムに登壇し、「あさがお」の活動などについて報告させていただく予定です。

詳しくは同封チラシをご覧ください。

 

チャリティーコンサートのお知らせ

9月15日(日)19時から、アカシヤ会・あさがお・昴の会支援のチャリティーコンサートが開催されます。

会場はシネマアイリス裏のライブバー「ギルド」で、入場料は千円(ワンドリンク付)です。

 

【5月・6月・7月の例会の概要】

5月12日は17名が参加、2グループに分かれて話し合いました。

6月9日の例会は16名が参加、今回は情報を共有したいということで全体で行いました。

 

7月14日は21名参加で、初参加の方も2名おり、全体で情報共有しました。

顧問で精神科医の三上昭廣先生(函館渡辺病院理事長)も参加され、貴重なアドバイスをいただきました。

適切に精神科医療に繋がることは大事だけれど、通院すれば魔法の杖のように問題が解決するわけではなく、家族のより良い関わりが不可欠であり、そのためにもこのような家族会で語り合い、励まし合うことが大きな力になるというお話がありました。

 

樹陽のたよりの5月例会は5名が参加しました。6月は16日に開催し7名が参加、7月も7名が参加、近況などを語り合いました。

 

【「ひきこもり」をめぐる不幸な事件に寄せて 運営委員・安藤とし子】

当事者をありのまま受け入れることの難しさ

「ひきこもり」がキーワードとなる事件が相次ぎました。

事件に至るまでのそれぞれの、「追い詰め」「追い詰められた」日々を思うと痛ましくてなりません。

何が、家族や当事者をそこまで追い詰めてしまったのでしょうか。

 

こうしたことを考えるとき、私の頭にいつも思い浮かぶ情景があります。

昨年10月の学習会で講師の北海道メンタル評議会理事長東舘さんが、最初に「この中に、ひきこもりを経験された親御さんはいますか。」と問いかけた時のことです。

1人も手を挙げる方はいませんでした。

家族がまったく経験したことがない生きづらさで当事者は苦悩しているということを、どれだけの家族が理解し受け入れているのでしょうか。

 

ひとつの家族として同じ時間を生きてきたにしても、親と子の年代は違い、年代が違えば価値観や存在感も違うでしょう。

自分の考え方・ものの見方を容易に変えられないように、相手のそれを簡単に変えることはできません。

 

ですが、家族の多くは当事者の現状を何とか変えようとしているように思えます。

いわゆる「世間並」から外れてしまったものを、「なんとか世間並みに・せめて世間並みに」してあげるのが家族の努めと思うようです。

そこに見えるのは、「自分たちは世間並みに生きてきた」という自負と「変わらなければならないのは当事者」という思い込みでしかないように感じます。

 

当事者のこれまでの生き方・今の思い・プライド…そうしたものに心を寄せ、尊重し、ありのままを受け入れるゆとりがないと感じます。

家族が経験したことのない苦悩を抱えている当事者に寄り添い、当事者の価値観に歩み寄るといった、家族の側から変わろうとする動きにはなかなかならないようです。

 

当事者、家族、支援者の言葉から学ぶこと

ネット上には、家族・当事者の様々な思いがあふれていました。

当事者の言葉としては、「社会がひきこもりのための椅子をいくら用意しても、社会の人の心にゆとりがなければ出てゆけない。」というのがありました。

 

類似した内容は多く、多様な価値観・生き方を受け入れるだけの心のゆとりが社会全体にない限り、ひきこもる人はなくならないという当事者からの発言は、そのまま家族にも当てはまると思います。

受け入れる・尊重する心のゆとりがない家族に、当事者は心を開けないということでしょう。

 

家族の言葉では、「薬は人間」というのがありました。

当事者には当事者会、家族には家族会の存在が大きな力になるということでした。

自分だけではないと思えること・安心して話せる場があること・情報が得られること・学習できること…こうしたことが支えとなるようです。

 

支援者の言葉としては、「親が先回りして動けば動くほど子どもは動けなくなる」というのがありました。

親は自分達がさらに高齢になったときや亡くなった後の生活が気がかりで、いろいろと情報を収集したり当事者に働きかけたりします。

 

けれど家族の一方的な働きかけは「良い結果を生むことはない」と思った方がよいようです。

それは当事者の、こうした言葉もあるからです。

「昨日のように今日を生きるので精一杯」と。今日を生きることにも精一杯な当事者に、将来の心配・不安をどうするか話したところでどうなるのでしょう。

 

「ありのままに」とは自然体で暮らすこと

「8050問題というけれど、それまで死なずにいれるか自信がない」という20代・30代の当事者、40代・50代の家族の言葉もありました。

将来の生活よりも、いつまで死を選ばずにいられるか…生きる希望が見いだせないままの人たちもいます。

 

「親から将来の話をされるたび、どんどん追い詰められていく気がする。」という当事者の言葉もありました。

生きる希望もないのに、ずっと生き続けるものとしてその生活手段を考えるよう強いられるのは、とても理不尽なことではないでしょうか。

 

家族が穏やかに暮らし当事者が本人のペースで徐々に心を開いていくには、「ありのままを受け入れよう」とよく言われます。

お互いに自然体で暮らして行くのが、穏やかな関係に近づく早道のようです。

 

「ありのままに」というのは「ごく普通に」ということでもあるようです。

何時に起きてきても「おはよう」と声を掛ける・食事がおいしかったら「おいしいね」という…などなど。

家族が一日、一日をごく普通に暮らしているうちに、当事者との日常会話がもどってきたという家族もいました。

 

当事者との不要なトラブルを避けるには、家族が抱える不安は自分たちの不安として自覚することが必要かと思います。

自分達の生活の安定を自分達のできる範囲で考え、そのために動く。

 

将来の不安の要因を当事者に転嫁することなく、当事者の抱える問題と切り離し、それぞれの対応策を考えていくのが大事なのではと思いました。

 

事務局:庶務は社会福祉法人博栄会グループホーム管理者・越野、社会医療法人函館博栄会高齢者複合施設「ケアタウン昭里」施設長・森が担当し、対外的な連絡窓口は野村が担当します。

野村俊幸(社会福祉士・精神保健福祉士)090-6261-6984  tnomura@sea.ncv.ne.jp